いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

ひそかにおもんみれば

合掌

 

お疲れ様です。

宗祖のお書きになった主著である教行信証の今の自分で味わっているところを書こうと、力んでみた。

 

漢文で書かれてあり、読めないし理解しがたいものですが、まさにタイトルにある通り、親鸞様も、真如の世界を、自分の理解は超越しているが、書かずにおれないと、筆を取られておられますので、私も ひそかにおもんみたいと思います。

 

そもそも ひそかにおもんみればとは善導大師の観経疏の玄義分のお言葉のようでした。ひそかにおもんみれば - WikiArcによる。

 

それにしても親鸞様の一言一言が自分勝手に言われたお言葉ではなく、必ず経釈に裏打ちされた言葉であるわけです。

 

次に、

難思の弘誓は難度海を度する大船

無礙の光明は無明の闇を破する慧日なり

 

難度海は、苦海、生死、私達の人生と簡単に思いがちだし、親鸞様はそういう意味でおっしゃっていますが、最初にこの難度海の言葉は、龍樹菩薩のお言葉で、八聖道、聖道門に対して、浄土門は、大船に乗るようなものと言われたことをさらに発展させて、すべての衆生を乗せる船だとおっしゃるのです。

 

難思、無礙は、存覚上人の書かれた「六要抄」によれば、十二光から、韻を踏むように選びとられたものでした。

 

このブログを書く時に、上記の六要抄をさらに解説せられた六要鈔会本 (円爾)の存在を知った。

 

さまざまな教行信証の解説書があるので、ネットを駆使して解読して味わっていきます。

 

無明の闇を破するとは何か?

さとりの境地の反対なのだが、ねこねこ先生瓜生崇 - Google 検索の影響受けてますが、孤独地獄、分別や差別から離れられない私達に、一人じゃないよ、比べる必要ないよと、真如の世界からの呼びかけに目覚めることではないかと思います。

 

もちろん親鸞様は違うと思います。今までは煩悩が苦しみの元だと思っていたが、そんなことではなかった、本願ですでに私達を完全に救う道が成就されていたという歓喜が伝わって参りました。

 

以上が私が今味わっているところです。

 

南無阿弥陀仏