信心とはなにか?④
しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。
いきなり、大信の総決を貼り付けたわけだが、ご信心は、あくまでも如来から私に回向されるものであって、自分が起こせるものでないことを語っておられるのだ。
そして、先日の安心問答 福井座談会 で、宮田先生が明らかにされたことは、単なる文字の解説でない。本願を信ずるってことは、南無阿弥陀仏のいわれを聞くことである。仏教を聞くということは、本当の私に遇うことだと言われます。
無始よりこのかた、流転してきたと、とうの昔に知り抜いていた如来が、何とか仏教聞ける身にしてくださったのだ。
そして、お念仏称える身にしてくださったことは、全く私の力ではない、如来の方便と味わい、歓喜の心が沸き起こってくる。
本願寺では、慶讃法要が、大々的に行われ、時期を同じくして、京都国立博物館で「親鸞展」親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝 - 京都国立博物館 (kyohaku.go.jp)が開催されている。
私は4月12日に団体参拝予約をしているので、そこまで生きていれば行けるが、なんと夜中仕事してから、5時40分に集合になっている。大丈夫か?
一抹の不安のまま日々を過ごしている。それで16日ぶりの完全休業の日に何をやっているかと言えば、車を購入した。もちろんローンで。しかも完全仕事仕様の車、三菱のミニキャブバン もちろん四駆です。これで雪道もばっちし!
それから、仏法をYouTubeで探す。平田聞思氏のYouTubeチャンネルでアップされていた、加茂仰順氏の音声だけの声を聞く。
いろいろと思い違いや、心得違いを直していただける有難いお話です。
そしてさらに、東本願寺のチャンネルも第五回の講義を丸々聴聞できた。
いい日だな~!
三木 彰円氏の解説は非常に聞きやすくて、ドはまりしてしまった。
特に自筆の坂東本の教行信証が、現代にあり、親鸞聖人の聞思の姿勢を知ることができて本当に驚きとともに感動した。私もお念仏の教えをできる限り学び、人々に伝えていきたいですね。そのためにはコミュニティというか、人との絆が大事ですね。一人でやってても限度がありますね。私も少しは先生方のお手伝いできてるかなぁ。邪魔してなければいいが…
今日もおかげさまです。