いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

信心とはなにか?②

 

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。
 ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く。

 しばらく疑問を至してつひに明証を出す。まことに仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥ぢず。浄邦を欣ふ徒衆、穢域を厭ふ庶類、取捨を加ふといへども毀謗を生ずることなかれとなり。

皆様、お疲れ様です。

ますますブログ更新がおろそかになり、せっかくの愛読者にも愛想をつかれるところでありました。

 

さて、2023年となり、このブログを始めた時から全く変わらず、新型コロナの感染が、さらに拡大して、収まる気配も見せない中で、ここにきて感染症の部類を第5類に格下げするとの政府判断がなされる、中国ではすでに9億人が感染し、かかっていない人のほうが、肩身の狭い思いをしているとのことです。

 

信巻 本 に入る前の別序ですが、教行証の三法に、わざわざ信を入れたことは、明らかに当時の道俗、いや僧侶に向けての一大鉄槌を下したい想いが、表わされていると思うが、当然後世の私たち、衆生に向けて、正しくご法義を受け取ってくれよということが、言われてあるのではないか。

 

言葉は難しいので、解釈は控えますが、結局のところ、ご本願を受け取るのに一番邪魔なものは、定散の自心=自力心であって、自分の心にお浄土も、阿弥陀仏もあるというのは、論外だとおっしゃっている。

 

とにかく素直に受け取れないのだ。「お前を助ける」との仰せをそのまま受け取ればいいんだが、やれ「どうやって?」「どうなったら?」などと、拒んでしまう。

 

先回のブログで述べたが、大腸検査の結果、1センチ大のポリープが、出口付近に見つかり、大腸全体では5個見つかった。そこで医者から、1センチ以上のは切除しましょうと勧められ、今度の1月19日に手術が決まった。手術で採った組織は、病理検査に回され、悪性腫瘍ならば、つまり癌なら、即治療が始まる。まだ採ってみないとわからない、そんな状況でも、お浄土に生まれることに疑いがないというのは、頼もしいことではないか!

 

念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天
神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずること
あたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと[云々]。

 

二河白道の譬でお示しのように、煩悩に振り回されるのは、信心をいただいても全く変わらないのだが、ここでは信心を得たら、無碍の一道だとおっしゃっている。矛盾しているのではないかと思われるでしょうが、浄土への大道が開かれていることが、大功徳、大利益であって、転悪成善の利益を表しておられることは間違いないですね。

 

先達は、楽しんで苦しんでいけると表現なされたが、「いよいよ浄土が近づいてきたなぁ」と思えば、世間の苦しみにも果敢に向かっていけるではないか!

 

今1月14日で、明日、安心問答 福井座談会をオンラインで行う。

今回は、御文章で、信心決定をせよと何回も言われてあるが、果たしてどんなことなのか?


繰り返しになりますが、初事と、肝に銘じて、しっかり聞かせていただきたいと思います。

 

南無阿弥陀仏