いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

第一期親鸞会時代

お疲れ様でございます。前回一気に書いてしまったが、年代を書くのを忘れてしまい、「不適切にもほどがある」みたいなタイムマシンモノのようだったので、追加で書いておくと、高校卒業が、昭和59年3月、4月入学時はまだ同志社大学が京都御所近辺にあった当時の話だ。

 

あっという間の40年、まだ記憶している内容を思い出しながら書いている。何回か集会に参加するようになって、親鸞会の教えをまとめたマスターファイルがあって、それから何回も聞くことになるのだが、一休さんの歌とか、豊臣秀吉の辞世の句と言われているものや、著名人たちの言葉などで、仏教の真実性を確かめていった。今でもそれらのエピソードは、よく覚えている。

 

幼稚園が仏教系、浄土真宗大谷派の寺の経営だったこともあり、郷(さと)にはお釈迦さまの物語の絵本があった。その時は弱肉強食の話が中心だったように思う。地に這う虫を鳥が啄み、その鳥はさらに大きな鳥が捕食されている、さらに人が弓でその鳥を狩っている絵だったことを思い出している。そのことに若きお釈迦さまが悩んでいた。

 

お寺での読経も、体験していた。母の実家は日蓮宗だったが毎日勤行をしているようだった。残念ながら私の家には仏壇がなく、当然勤行はしていなかった。だけどもたまに実家に法事などで帰り、僧侶の読経を聞くと、何か心が落ち着く感覚があった。

 

何回目かの集会に参加した時に、福井で講演会があるというので、私は学生だったが、所属は社会人の青年部だったので、その当時京都上隊の中隊長のK山さんの軽自動車で京都から福井への移動だった。K山さんは、夫婦で学校の先生で、実家は福井との事だった。京都上隊は、なぜか県外者が多く、もう一人の中隊長はH口さん、長崎出身の女性だった。ここの顕正室(親鸞会の独特な名目で事務所というか、集会所)の2階には、下宿している山口出身のAさんもいた。ここ京都西院には、Hの学生アパートも近くてたまに宿泊などして、一緒に参加していた。

 

講演会の場所は、福井市板垣の旧FBC会館だった。大ホールにゴザが敷き詰められた会場だった。座布団もなく、皆押し合うように席を取り、前方までよく埋まっていたが、若い人が多く、同年代が圧倒的で、しかもスーツ姿だった。その中でも異質な集団がいて、男性8割、女性は2割で何やら制服に身を包み、明らかに集団行動をしていた。後から親鸞会の専任講師(いわゆる布教使)を養成する講師学院の3期生と知った。学院は福井の芦原市にあるとの事だった。その第一期生の首席で卒業したのが、今の京都上隊長F田講師でした。現在、お坊さんYouTuberの桜嵐坊こと桜庭氏のYouTubeにも最近出演されていてビックリした。

 

講演5分前になると「まもなく朝のお勤めが始まります、みなさん席におつきください」とアナウンスが流れて、ハンドベルによる恩徳讃の演奏が始まる。K山中隊長から、正座するように勧められた。お勤めの本が貸し出され、一緒にお参りした。最初の大きな会場でのお勤めだった。皆かなりの声を張り上げての唱和だった。圧倒されたとともに、いよいよ宗教団体に入ったなと感じた。

 

その後随行者の発表があり、午前は、10時15分キッカリに始まる。演題を思い出したが、おそらく「三重廃立」

share.google

の話だった気がする。

 

検索すればわかるが、今でも親鸞会の教えの基幹になっている。

内容については、あまり覚えていないが、なぜか講師学院の学院生が気になった。学生アパートで孤独感に苛まれていた私には魅力的に感じた。

 

(続く)

親鸞会との出会い

お疲れ様です。

このブログは、私の親鸞会との出会いと、友だちのHとのやりとりを通して語っていきたいと思います。

誰にみられようと関係はありません。Hはネット環境が無いので見れません。

だからかなり個人的な話になります。

 

Hとの出会いは、石川県金沢市の桜丘高校生時代に遡ります。当時、今では考えられないが、高校生になったら必ず、何らかの校内活動に参加しないといけないという圧力に負けます。それで帰宅部になりたかったのに、スポーツ、文化部に所属しなかった人達は強制的に応援団に行かされます。

 

クラスから1人が、応援団に選ばれるのです。変な学校でした。

私も中学はバドミントン部でしたが、高校に上がって、全く気持ちも上がらず、知らぬ間に応援団に入部しました。

 

組数がその当時、生徒数も多く、11組もありまして、私は9組の代表として応援団に。

授業が終わって課外活動になるので、最初の声出しで、先輩達のしごきみたいなものに遭い、次の部活には、半数になっていました。

そしてその次には、私を含めてとうとう4人になりました。結局その4人で3年間過ごし、Hとの腐れ縁が始まったと言うわけです。

 

3年生になり、クラスが文系、理系で分けられ、応援団4人のうち3人が、文系クラスでした。

 

応援団のメンバーで、私より成績上の奴がいて、結局そいつと同じ同志社大学に入学しました。

 

Hも、同じ京都にある京都外大へ入学したのです。京都の阪急電車の西院駅が最寄りの駅です。

 

一回生の夏休みに、金沢の自宅に帰って、のんびりと過ごしていると、高校時代付き合いのあった友達が亡くなったという知らせを受けました。

結構ショックでした。その友達は大学試験に落ちて、名古屋の予備校の寮に生活していたのですが、不眠症になり、睡眠薬を処方していたのですが、多飲して意識不明、呼吸不全になり死んでしまったと聞きました。友達何人かと、彼の家に弔問しようということになり、行きました。彼の母親の呆然とした表情は今も忘れられません。

 

この時は、まだ親鸞会との縁もない時でしたが、彼の冥福を祈るしかできない、後悔の思いがありました。

 

彼はどこに行ったのかな?どっか暗いところだろうか?さて私も同じところへ行くんだろうか?

 

また京都に戻って、後期の授業が始まりましたが、まともに授業受けられなくなってしまいました。というのも生活のサイクルが昼夜逆転してしまい、昼過ぎまで寝て、ほとんど大学に行けなくなっていました。あの当時、同志社には夜間があって学生食堂も夜の部があり、夜からの学生?らと一緒に食べて、24時間営業のコンビニ店、牛丼屋もありまして、よく通いました。

 

携帯もない時代です。Hが週末に訪ねてきました。ここからが親鸞会との出会いです。

「ものすごく頭のキレる人がいて、いろいろ話聞いてるんだけど、タメになるよ」

先ほどの西院駅近くで声をかけられて、「人生の目的はありますか?」などと聞かれて、事務所までついていったらしい。

 

私もそろそろ何か目標を見失いつつあって、一度話し聞いてみようかなぁという気になって、今度集会があるというので行ってみた。

 

地下鉄やバスもありましたが、貧しい学生生活なので自転車しか交通手段がなく、私が住んでいる上京区から右京区西院までは30分ほどかかったのかな?京都はマップがなくても通り名で結構どこへでも行けるようになっていたので、たしか夜の集会に参加しました。

 

10人以上の人が参加していましたが、畳の上に長机が並べられ、前には仏壇があり、責任者と思える人がにこやかに出迎えてくれました。なんでも歓迎してくれているな〜、なんかあったかい雰囲気だなぁと思っていました。仏壇の横に黒板があって、みんな神妙に話を聞いていて、人生の目的とはどんなものか?説明していたように思います。そうこうしているうちに、座談に移り、新しい人が私ともう一人いましたが、責任者と他に県外からきた先生らしき人から、入会を勧めてきました。とりあえず入会して、勉強していきましょうね!と、さほど悪びれる様子もなく、迷っていると、納得できる教えなので、大丈夫ですよなどと強調して、半ば強引に署名しました。不思議なもので、一旦書いてしまうと不安は消えて、続けて聞いてみようと思ってしまうものです。まぁHも勉強しているみたいだから安心かなぁと、そして約2年ほど、私の第一期親鸞会生活が始まったのでした。

(続く)

 

信心とは何か?⑤

第一問答

問ふ。如来の本願(第十八願)、すでに至心・信楽・欲生の誓を発したまへり。なにをもつてのゆゑに、論主(天親)一心といふや。
 答ふ。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。このゆゑに論主(天親)三を合して一とせるか。

第二問答

また問ふ。字訓のごとき、論主(天親)の意、三をもつて一とせる義、その理しかるべしといへども、愚悪の衆生のために阿弥陀如来すでに三心の願を発したまへり。いかんが思念せんや。

皆さまお疲れ様です。
やっと更新します。
三一問答で、永劫に更新できないと思っていました、
難度海で沈没している私にとって、このテーマは、かなりの障壁がありました。
御開山は、仏意に関しては、測り難しとおっしゃっておられるのだが、字訓にしても、釈義にしても仏教知識をフルに披露されておられる箇所です。

ウィキアークの調子が悪く、リンク切れを起こしかねないということで、いろいろサイトを参考にしていますが、
FBでもシェアしたが、今一度参考サイトを貼りつけておきます。

shinshu-hondana.net

このことをどのように味わうか?
皆様にもお尋ねしたい。
天親菩薩が、我一心と仰ったことが元になっていると窺います。

南無阿弥陀仏

信心とはなにか?④

しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。

youtu.be

いきなり、大信の総決を貼り付けたわけだが、ご信心は、あくまでも如来から私に回向されるものであって、自分が起こせるものでないことを語っておられるのだ。

そして、先日の安心問答 福井座談会 で、宮田先生が明らかにされたことは、単なる文字の解説でない。本願を信ずるってことは、南無阿弥陀仏のいわれを聞くことである。仏教を聞くということは、本当の私に遇うことだと言われます。

無始よりこのかた、流転してきたと、とうの昔に知り抜いていた如来が、何とか仏教聞ける身にしてくださったのだ。

そして、お念仏称える身にしてくださったことは、全く私の力ではない、如来の方便と味わい、歓喜の心が沸き起こってくる。

本願寺では、慶讃法要が、大々的に行われ、時期を同じくして、京都国立博物館で「親鸞展」親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝 - 京都国立博物館 (kyohaku.go.jp)が開催されている。

私は4月12日に団体参拝予約をしているので、そこまで生きていれば行けるが、なんと夜中仕事してから、5時40分に集合になっている。大丈夫か?

一抹の不安のまま日々を過ごしている。それで16日ぶりの完全休業の日に何をやっているかと言えば、車を購入した。もちろんローンで。しかも完全仕事仕様の車、三菱のミニキャブバン もちろん四駆です。これで雪道もばっちし!

それから、仏法をYouTubeで探す。平田聞思氏のYouTubeチャンネルでアップされていた、加茂仰順氏の音声だけの声を聞く。

youtu.be

いろいろと思い違いや、心得違いを直していただける有難いお話です。

そしてさらに、東本願寺のチャンネルも第五回の講義を丸々聴聞できた。

いい日だな~!

youtu.be

三木 彰円氏の解説は非常に聞きやすくて、ドはまりしてしまった。

特に自筆の坂東本の教行信証が、現代にあり、親鸞聖人の聞思の姿勢を知ることができて本当に驚きとともに感動した。私もお念仏の教えをできる限り学び、人々に伝えていきたいですね。そのためにはコミュニティというか、人との絆が大事ですね。一人でやってても限度がありますね。私も少しは先生方のお手伝いできてるかなぁ。邪魔してなければいいが…

 

今日もおかげさまです。

南無阿弥陀仏

信心とはなにか?③

 つつしんで往相の回向を案ずるに、大信あり。大信心はすなはちこれ長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術、選択回向の直心、利他深広の信楽、金剛不壊の真心、易往無人の浄信、心光摂護の一心、希有最勝の大信、世間難信の捷径、証大涅槃の真因、極速円融の白道、真如一実の信海なり。
 この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。この大願を選択本願と名づく、また本願三心の願と名づく、また至心信楽の願と名づく、また往相信心の願と名づくべきなり。しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し。
なにをもつてのゆゑに、いまし如来の加威力によるがゆゑなり、博く大悲広慧の力によるがゆゑなり。たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず。ここをもつて極悪深重の衆生、大慶喜心を得、もろもろの聖尊の重愛を獲るなり

 

お疲れ様です。2月があっという間に過ぎた。

仕事が忙しくて、どうしようもなかった。またまた私の異動が決まった。

おそらく今日内示が出てると思うので公開するが、たった1年で、交代だ。

だがおそらくだが、次店では、店長職になる。とうとうメインの店での店長だ。

全販売店でのモデル店となるべき店の店長だ、いろいろとアイデアを出して、実現していきたいと思います。気負うこともないが、精一杯職務を全うしていきたい。

 

さて、信巻の大信釈です。信心と行(念仏)は別のものではない。ですから信心の内容を述べておられるのだが、大行の内容と被ると思います。

大行を、述べておられるところと比較したい。

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。
しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。すなはちこれ諸仏称揚の願と名づく、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく、また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。

しかしながら、あきらかに、大信の讃嘆がすごいですね。もう言葉のチョイスが、最大限でしょうね。ここまで讃嘆された上に、大部な引用の数々、私はこの信心を明らかにするために関東から京都に行かれた理由の一つだと思っています。

 

でもよく読んでみると、衆生側、つまり私に与えられるのは、信心であって、諸仏が称名しているとのことですね。悩んでしまうなぁ、阿弥陀様は、私にお念仏を回向してくださったのか?それともご信心を回向してくださったのか?

 

実感としては、お念仏で助かったと思っていたが、ご信心を回向されたことによって、お念仏させていただいているのか?信行次第ともいわれるが、いまだに解決していない。ご信心を回向されたことによって、自力が取られた、疑心がなくなったと理解すると、称える前にすでに自力心がなくなっていたことを思うと、信一念義の安心論題の解説通りではないかと思います。もちろん自覚はありますので、信の一念はございますが、確実な日時はわかりません。あれ?今までの胸中のわだかまりがなくなったのを自覚したのは、令和元年の11月11日の早朝でありました。その日を「本願帰命の日」

と私は定めております。

 

南無阿弥陀仏

信心とはなにか?②

 

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。
 ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く。

 しばらく疑問を至してつひに明証を出す。まことに仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥ぢず。浄邦を欣ふ徒衆、穢域を厭ふ庶類、取捨を加ふといへども毀謗を生ずることなかれとなり。

皆様、お疲れ様です。

ますますブログ更新がおろそかになり、せっかくの愛読者にも愛想をつかれるところでありました。

 

さて、2023年となり、このブログを始めた時から全く変わらず、新型コロナの感染が、さらに拡大して、収まる気配も見せない中で、ここにきて感染症の部類を第5類に格下げするとの政府判断がなされる、中国ではすでに9億人が感染し、かかっていない人のほうが、肩身の狭い思いをしているとのことです。

 

信巻 本 に入る前の別序ですが、教行証の三法に、わざわざ信を入れたことは、明らかに当時の道俗、いや僧侶に向けての一大鉄槌を下したい想いが、表わされていると思うが、当然後世の私たち、衆生に向けて、正しくご法義を受け取ってくれよということが、言われてあるのではないか。

 

言葉は難しいので、解釈は控えますが、結局のところ、ご本願を受け取るのに一番邪魔なものは、定散の自心=自力心であって、自分の心にお浄土も、阿弥陀仏もあるというのは、論外だとおっしゃっている。

 

とにかく素直に受け取れないのだ。「お前を助ける」との仰せをそのまま受け取ればいいんだが、やれ「どうやって?」「どうなったら?」などと、拒んでしまう。

 

先回のブログで述べたが、大腸検査の結果、1センチ大のポリープが、出口付近に見つかり、大腸全体では5個見つかった。そこで医者から、1センチ以上のは切除しましょうと勧められ、今度の1月19日に手術が決まった。手術で採った組織は、病理検査に回され、悪性腫瘍ならば、つまり癌なら、即治療が始まる。まだ採ってみないとわからない、そんな状況でも、お浄土に生まれることに疑いがないというのは、頼もしいことではないか!

 

念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天
神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずること
あたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと[云々]。

 

二河白道の譬でお示しのように、煩悩に振り回されるのは、信心をいただいても全く変わらないのだが、ここでは信心を得たら、無碍の一道だとおっしゃっている。矛盾しているのではないかと思われるでしょうが、浄土への大道が開かれていることが、大功徳、大利益であって、転悪成善の利益を表しておられることは間違いないですね。

 

先達は、楽しんで苦しんでいけると表現なされたが、「いよいよ浄土が近づいてきたなぁ」と思えば、世間の苦しみにも果敢に向かっていけるではないか!

 

今1月14日で、明日、安心問答 福井座談会をオンラインで行う。

今回は、御文章で、信心決定をせよと何回も言われてあるが、果たしてどんなことなのか?


繰り返しになりますが、初事と、肝に銘じて、しっかり聞かせていただきたいと思います。

 

南無阿弥陀仏

信心とはなにか?①

それおもんみれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり。

 

皆様お疲れ様です。長らくブログを更新できなかった。

顕浄土真実教行証文類 行巻を味わい、お念仏の心を少しでも理解できたらと思い、書き連ねた。駄文の数々を見て、げんなりしてしまった。

 

私の仕事としても、立場が変わり、店長からまた降格して、代理として日々を過ごしている。健康診断の結果、大腸に潜血があるというので、大腸検査を予約した。

 

さて、信巻へ入るわけだが、ここが真宗の肝要で、親鸞聖人が一番明らかにされたかったことと拝察する。

 

別序と言われる文章の最初のお言葉です。先達がいろいろと言われていて、己証の別開だと断言する曽我量深氏ですが、私はそうは思わない。ひたすら弥陀の本願を仰ぎ、当時の道俗の誤謬を正そうとされた、または法然聖人の教えを正確に明かされた巻であると私は仰いでいる。

 

信心同異の諍論でも、真実信心はみな如来から賜る信心です。ですから、そこを深く味わうと一味の世界が広がっていきます。ですから難しく考えることもなく、書かれたことを素直に受け取っていきます。

 

まず信心とは、物でもないが、獲得(ぎゃくとく)と書いてある。

浅はかな凡夫、人間はこれでまずつまずく。心のことだから、心の状態が、今までの自分と大変わりするんじゃないかと妄想するのです。

 

私の先生は、よく阿弥陀様からのプレゼントですとか言われることがあるので、なお混乱するのではなかろうか?いや申し訳ない、先生の悪口ではない、何か素晴らしいものだと思ってほしいというお気持ちからではないかと推察する。

 

あるいは、桜嵐坊さまは、お浄土への切符、チケットみたいな言い方をされるんですね。

 

あるいは、信心を無疑と言われる。不疑とは違うというのは、稲城和上がおっしゃっておられた。人間が疑わないことなど不可能だ。ましてや死んでから後のことなどわかるはずもないことなのだが、南無阿弥陀仏には、疑いを除く智慧が備わっていると、親鸞様は断言されていることは、以前も述べたところだ。

 

自覚として信心をいただくと、名号が私にはたらいているのか、不思議にも安堵感が広がっていく。信前は、ああでもないこうでもない、ああ言えばこう言うみたいな、そうは言うけどわからんなぁ~と文句ばかり言っていた。

 

ある日を境に、ありゃ何も変わらなくていいじゃないか?と阿弥陀様は、「お前をそのまま助ける!」という御心が届いた。何の前触れもない、一瞬のことだった。

 

先生とのやり取りを延々としていただけだが、先生の言われることはいつも一つ。

「そういう貴方(私の名前)を阿弥陀様はなんとおっしゃっていますか」

あるいは、「あなたを助けることに、何か条件をつけていますか?」

 

とやかくも、こんな悪い奴は救われるはずがないと、本願に漏れたものだと勝手に思っていた。だから文句が止まらなかったことは今もよく覚えている。

 

だから問答というのは非常に大事だ。阿弥陀様のお救いは、無条件なのですが、こちらから注文をつけてしまうのだ。

 

さて私が信心を得る話ではない、仏様、如来様が私に信心を与えて救おうというお話なのでした。

 

南無阿弥陀仏