いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

不可思議なお念仏のはたらき

乗大悲願船

しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。

あっという間に3月になってしまった。

毎朝のおあさじに欠かさず参っていたら、60日参り達成してしまった。この調子で、100日参りを達成しようと思っている。といっても朝6時からの30分の勤行に参加しているだけだが。1年前には、してなかったルーチンを取り入れた。

 

毎日が、お念仏で明け、お念仏で暮れるようになった。

そうすると、心が歓喜で満ちてくるようになる。

引用にあるように、心に闇がないというだけで、焦りや不安が消えていく。

宿因、宿業もこれから先当然受けていかねばならないが、不思議に恐怖や畏怖がないのだ。世間や家計は大変なことになっている。また仕事でも、どう考えても下降線をたどっている産業に従事している。会社も赤字に転落して、総務部長も頭を抱えて、申請書を持って行ってもなかなか印鑑がもらえず突き返されるのだ。

 

念仏者の生活とは、他力に生かされるといわれているが一体どういうことなのか?

機に向かえば、愚かさや浅ましさしかない我が身が知らされ、法に向かえば、そのような私を助けずば仏にならないと誓われた本願が頼もしく有難いと味わえるのです。

 

毎日お勤めに参らせていただいている住職から、珍しく質問されて「なんで浄土真宗に興味を持ったの?なんではまったの?」と聞かれて答えに窮してしまった。

…何度考えてもわからない、なんで聞いたのかわからないんですよ。

様々なことに興味を持ち、いろいろやったり経験してきたが、なんでお念仏称えてるのか、はっきりと答えることのできる人がいるだろうか?よき人の仰せにしたがってただ念仏称えているという人が多いのではないだろうか?

 

法然聖人のような方は、還相の菩薩であるとおっしゃったということだが、引用では普賢の徳に遵うと言われているが、浄土に往生してからの話ですが、自在に衆生勧化したいものだと思ってしまう。

 

休日に、YouTube築地本願寺の常例法話をお聴聞していると、入れ替わり立ち代わり布教使がご説法されておられるが、みなすごいなぁと感動します。

 

無二の善知識の話しか聞いてはならんと言っている団体もあるので、注意が必要です。

本当に人に依らず、法に依れとお釈迦様が説かれた通り、間違いなくお念仏の心を伝えて下される伝統教団があるのは心強いですね。

 

私にとって、洗脳があったのかもしれないと思えるのは、上記に上げた善知識は一人しかいないという問題と宿善問題。親鸞聖人の教義を利用した人集め金集めの活動をしたことですね。みな後生解決したい、信心決定したい、地獄に堕ちたくない、人情まで利用して、恐ろしい謗法ではないか。。。許せないというのはこのことです。

 

ロシアのプーチンが許せないというが、まさに業縁だろうなぁ。池上彰のテレビでなぜ戦争になってるか?その理由を解説していたが、プーチン寄りじゃないかと思うほど、なんでそうなったか納得できた。

 

相変わらずコロナの感染は続いている。コロナになったと知らせてくる知人もでてきてしまった。仕事にも支障をきたしている。

 

果たして衆禍の波が転じているであろうか?

先に述べたように、難度の海は、生きていれば全く変わらないのです。

大船に乗っていると、衆禍が次から次にやってくるのは、想定内なんですね。

先哲が、喜んで苦しんでいけると言われていますが、いつ死んでもいいからなんですよね。死ぬことほど苦しいことはないとみな思ってる所が解決してしまうわけですからね。

 

これからもぼちぼちやっていこうと思っている今日この頃です。

 

南無阿弥陀仏