いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

毎日お念仏を称えていると④

おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。
その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。
 ここをもつて知恩報徳のために宗師(曇鸞)の釈(論註・上 五一)を披きたるにのたまはく、「それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし。また所願軽からず。もし如来、威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を乞加す、このゆゑに仰いで告ぐ」とのたまへり。
 しかれば大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていはく、

皆様、暑中お見舞い申し上げます。

学生は、夏休みに入り、新型コロナが、政府が行動制限のないまま、感染者が過去最高を更新して、私が違和感を覚えるのは、そのタイミングで、濃厚接触者の自宅待機日数が7日から5日に短縮されて、すこしでも医療人材不足の解消や、経済が回らなくなる恐れを回避しようとする政府の思惑を感じて、もう感染は自己責任ですよと、個人に丸投げしようとする意図が見え隠れしている。また我々も、この感染予防生活も当然のこととして慣れてしまっている、マスク生活、消毒生活が当たり前になってしまった。戦火の続くウクライナの首都キーウの人々が、東部の各地のミサイル攻撃を見ながら、もう慣れてしまったと言っていて、そんな環境に順応するとは人間は恐ろしいものだと感じる。

混とんとする世間の中、お念仏に生きる我々は、歓喜の日暮らしをさせていただいている。

 

いよいよ行巻が終了する。正信念仏偈に入る前の文だが、御開山が短く他力、真宗の教えを解説してくれているところをアンダーラインで示させていただいた。

そのあとの、曇鸞大師の論註の引用は、現代語訳が、Wikiarcに掲載されているので参照されたい。仏と菩薩の関係は、孝行息子と両親、また君子と家来のような関係で、動静おのれにあらずとは、自分勝手な言動はせず、かならず主君の意向にそって家来は行動するのだから、どうか援護、支援していただけないかと乞うのだ。

 

お念仏を称えさせていただいたものは、正定の菩薩であるとするならば、常に動静おのれにあらずと心がけたいものだ。

 

人生の物語は、自分が主人公だ!とみな思っているようだが、感謝の日暮らしをするようになると、如来のご催促がなければ、到底、真実の行信は得られない、主人公は如来であったと痛感する。

私も御開山のお言葉に帰して、このブログを書き続けていきたい。

南無阿弥陀仏