お念仏にどんな意味があるの?
合掌
お疲れ様です。本日は、安心論題/六字釈義 - WikiArc
について、私の見解を述べさせていただきたいと思います。
お念仏は、阿弥陀様からのプレゼントです。しかも一方的に渡されるものです。
私の側がどんな状態であっても関係ありません。しっかりと覚悟して受け取るものでないということです。
だからこそ、親鸞様は、本願召喚の勅命と、解釈された。
元々は、善導大師様が、ワザワザ南無阿弥陀仏のはたらきを、衆生の上でちゃんと教えてくれたにもかかわらず、親鸞様は、仏の上で解釈され、回向を目的とされたとはっきり教えられたのだ。
この宗祖の解釈によれば、帰ってこいよ、この弥陀をたのみにせよ、願力摂取のふところにやすらいでくれよ、と私に向かってはたらきかけ、喚びづめによんでくださっているのが南無阿弥陀仏であると、仰せられるのです。
このいわれを聴聞させていただく。そのことを説く方が善知識というのです。
阿弥陀様の本願をきくとは、南無阿弥陀仏にどんな意味があり、皆一人一人が、私だけを救うためのご苦労だったと聞くのが、聴聞というのです。
真宗にとって一番大事な、南無阿弥陀仏を説かずに、善知識と名乗っているのは、ちゃんちゃらおかしな話なのです。
「親鸞会の教えと、浄土真宗の教えで決定的に違うのは何ですか?その違いが私たちの救いに影響するのでしょうか?」(質問箱より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
山も山さんのブログ記事を読んで、変な返信をしている親鸞会会員がいて、ちゃんと文章読んでるのか?微妙です。
まぁとにかく、今日もお念仏称えるのみです。