どんな疑いがなくなるのか?
合掌
私自身、宗教など無関心だったが、人として生きていると、様々な苦難がやってきた。
生きづらさから、自殺まで考えたこともある。
大学時代、友人が睡眠薬を飲んで予備校の寮で自殺した。優秀な奴だったが、身内だけで葬儀をあげたので、お焼香だけ上げに行った。
母親の呆然とした表情が思い出される。
私自身も一人暮らしで自由もあって生活は乱れた。徹夜はしょっちゅうだった。アルコールにも頼ったが眠れなかった。
そのまま授業に行く。そんな生活だった。
人間苦しいと、自殺、今は自死と言うそうだが、考えてしまう。
そんな時、友達から、はっきり仏教と言わずに、「いい話があるから、聞いてみないか?」と誘われた。
藁をもすがるような気持ちになっていた。もっと先だろうが、阿弥陀様に引っ張られていたのだろうなと感ずる。
その頃は、新興宗教に対する風当たりはさほどなかった。統一教会が、霊感商法をして、被害者がいたくらいです。
だから、いわゆる新会員勧誘に引っかかりました。
人生の荒波に耐えながら30余年過ぎてしまった。それこそあっという間でした。
ネットで様々な出会いがあり、浄土真宗の本当の教えに出会うことができた。
このブログを読んでいる方は、どんな人生を歩まれているのだろう?
今回は安心論題/信疑決判 - WikiArc について
某S会のT先生の話を聞いていけば、絶対の幸福になれると信じていた。
阿弥陀仏の本願とは何か? どんな人も必ず助ける 絶対の幸福に! と言うのが本願の内容だそうだ。
そのためには、聴聞、勤行、六度万行に励まねばならないという教えです。
まったく疑わなかった。
そのような私に事件が起きた。 実は南無阿弥陀仏のはたらきです。
S会の、中枢で活躍されていた方の訃報を知ったことです。
私はすごく尊敬していました。福井県の支部長をされていましたし、自宅まで行ったことも思い出しました。
その方の書かれたブログを読んで、衝撃でした。S会のT先生に対するものすごい批判です。
最初は、これは本当のことだろうかと訝ったほどです。
私自身は、S会をやめて、何してるんや!と怒りもありましたので、すべてにわたって信じたわけではありませんでしたが、その後、T先生の息子や、お話しを疑いながら聞いたのも確かです。
阿弥陀仏はすべての人々を救わねば仏にならないと誓われ、その誓願が成就して、現にわたくしどもに救いを呼びかけていてくださいます。けれども、これを私が信受しなければ、私は救われません。すでに救いの法は成就されているのですから、私が救われるか否かは、その救いの法を私が信受するか、信受しないかにかかっています。 これは阿弥陀仏が、信じた者は救うが、信じない者は救わないというように、信心を救いの条件とされているのではありません。阿弥陀仏はすべての人々に救いの手をさしのべていてくださるのです。しかし、その救いを拒絶する者、救いを受けいれない者は救われないということです。その救いを拒絶して受けいれない者も、阿弥陀仏の願力のおんはたらきでいつかは必ず信受させねばやまないと、常に動いてくださるのが阿弥陀仏の願力であります。 今は現に与えられている救いの法を信受するか否かによって、悟りの世界に入るか迷いの世界にとどまるかが別れる、というけじめを明らかにすることが、この「信疑決判しんぎけっぱん」という論題であります。
Twitterで、試験的に説法を試みている方を発見しました。
久保龍雲@Youtube始めました (@ryuun_kubo) | Twitter
話を聞いていくうちに、ほんとかな?と思うようになったのです。
S会以外に、本当の教えを教えていることはないと思っていたので、胸が騒ぎました。
その方から直接連絡がきて、フェイスブックで個人的なコミュニティを立ち上げるので来られませんか?と。
出口が見えない中なので、私は従いました。
いろいろな、ワークがありましたが、動画を上げていただきました。
議題は、仏願の生起本末についてでした。
親鸞様は、はっきりとお示しくださいました。
何の疑いなのか?ズバリ仏願の生起本末です。
私にも届きました。 間違いなく、あなたにも届きますので、ぜひよくよく本願をお聴きくださいませ。
読んでいただきありがとうございました。