いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

異安心

合掌
異安心とはなんぞや?
wikiarcによれば、
いあんじん

 真宗における正当な教義とは異なった理解にもとづく信心のこと。異義・異解・異計などともいう。親鸞在世時から存在し、蓮如の時代にはくせ法門などと呼ばれた。その内容は多岐にわたり、親鸞の御消息、『歎異抄』、覚如の『改邪鈔』、蓮如の御文章などから知ることができる。江戸時代には本願寺派において三業惑乱が起こり、学林の能化が主張した三業帰命が異安心と判じられた。(浄土真宗辞典)

阿弥陀仏に、本願疑惑心が除かれたというけど、これが異安心だと言われてしまうと戸惑ってしまう。

そりゃ親鸞会会員には、わからんだろうな。高森師を阿弥陀様の代官だと信じていたら、私のいうことは、異安心にしか思えないだろう。

だから人ではないのですよ、相手は仏様なので、虚しからずなのですよ?

煩悩に遮られて本当にわからないままだけど、これがなんと言っていいかわからないのですよ。

不可称、不可説、不可思議。
別に異安心と罵ってもいいです。人の言葉は関係なくなるのです。

南無阿弥陀仏