いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

お念仏を称えると、どうなりますか?

合掌

 

お疲れ様です。

今回の論題は、安心論題/彼此三業 - WikiArcについて。

 

この論題の出処は、善導大師様の定善義

です。

 

それにしてもさすがは、お浄土から現れでたお方と宗祖が仰った通り、すごいことなんですよ。

 

ただ三業と言うことで、三業帰命説が出てきたのです。しかし私の行いでありますが、はたしてそれは私から出たものであろうか。

 

お粗末な私の口に称えるお念仏、いつどこでも称えても阿弥陀仏は聞いてくださいます。私の合掌礼拝の姿、それは人が見ておろうが見ておるまいが、阿弥陀仏は見ていてくださいます。心のうちに阿弥陀仏のお慈悲を思うとき、誰知るまいと思うたが、阿弥陀仏は知っていてくださいます。私どもは、阿弥陀仏とこのように親密な関係のうちに生活させていただいているのである、ということを有難く尊く思わずにはいられません。

 

善導大師様が、摂取の三縁をお示しくださいました。

その中の親縁の中に、この論拠が示されます。

 

一には親縁を明かす。衆生、起行して口に常に仏を称すれば、仏すなはちこれを聞きたまう。身に常に仏を礼敬すれば、仏すなはちこれを見たまう。心に常に仏を念ずれば、仏すなはちこれを知りたまう。衆生、仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念したまう。彼此の三業、あい捨離せず(彼此三業不相捨離)。故に親縁と名づくるなり。

 

私は、単なる一般人です。学者でもなければ、宗教者でもないのです。

このお聖教を拝読して、信前のこととは思えません。誤解しては、いけない重要な点です。このことは二河白道の譬喩でも言えるのですが、白道を、信前の求道と説く馬鹿な団体があるんです。

 

善導大師様の深い御心をしっかりと受け止めなければならないと思います。

 

本願を信じてお念仏を称えて仏にならせていただく上での覚悟を述べた尊いお示しと味わいました。

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏