いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

主上臣下、怒りをなし、仇を結ぶ。

合掌
お疲れ様です。
怒りの心で相手を切り刻む。絶対やってはいけないことなのだ。と分かっているが、煩悩具足の凡夫だから、どうしてもやってしまう。

昨日、親鸞会の退会をさせていただいた。地元の会館に出向き、北陸の責任者の前にでて、親鸞会を退会させていただきます。と頭を下げてきた。

もう聞かないということですか?と聞いてきた。浄土真宗の教えは今後ともお聴聞していくが、もう親鸞会の話しは聞きたくないのだが、それを言ってしまうと収まるものも収まらないと思い、これからも聞いていきます。と言ってしまった。

どなたから聞いていますか?と聞かれたので、嶋田久義先生の あなたの白道を差し出した。そのあと 宮田先生の安心問答などを例にあげて、親鸞会の教えは間違いだと伝えていることを言ってみた。

みな根拠を出して破れますと自信満々に言ったあと、あなたは、高森先生より宮田さんを信じるということですね、と聞いてきたので、まぁ信じると言いますか、ご信心いただきましたので、誰かを信じるということはありませんが?と言ってみた。よくわからないみたいな顔をしていたが、あなた方の言ってることはわかりますと、宿善に関しては今、ご説法でお話しいただいておりますと。親鸞会の宿善論はよくわかっているつもりだ。

宿善とは、なんぞや?蓮如様は、いずれの経釈によるとも、宿善に限れりとみえたり、宿善まかせとおっしゃる。善をしないといけないんやと誤解されるようなことを何回も書かれるだろうか?

宿善=仏縁=阿弥陀様のおはたらき、つまり他力。自力の入る余地などない。阿弥陀様は念仏すすめておられないとかいう論争もいずこかでおきているようだが、仏教は、廃悪修善の教え。

そのあと廃立の教え。ここからが難関です。

私自身の実感としては、念仏で助かったと思っているが、みなどうだろうか?

不果遂者の誓いではないか?善といえば善なのだが、方向が違うのだ。

私は親鸞会をやめるのは3回目です。そう告白すると親鸞会の講師は、ちゃんと聞けてなかったのですねと言ってきた。私は、真剣に聞いてきたつもりだったのだが、怒りを返してはならんと思い、グッと堪えて、どうもそのようですね。聞けてなかったということですね、と返答しました。

一矢も報えず、支部長が渋々、本尊を受け取り、一礼して会館を後にした。

何か晴れやかな心になったが、みんな悪いわけじゃない、なんとか皆大悲に出会ってもらいたい。

南無阿弥陀仏