いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

あなたは誰ですか?

合掌 お疲れ様です。

南無阿弥陀仏と称えていても、その対象は、本願に対するものです。

ですから、阿弥陀仏とはどんな方か、などと聞かれてもわからないのです。

たとえば、あなたが大学受験するとして、合否を誰が決めたのでしょう?気にしたことがあるだろうか?

南無阿弥陀仏のはたらきを受けて、どなたがそうしたんだろうかなどと、気にすることはないと思います。

真宗における帰命の対象(所帰しょき)は、阿弥陀仏という「人」であるのか、それとも名号という「法」であるのか、ということが問題になりました。その問題について論ずるのが、この「所帰人法しょきにんぽう」という論題であります。

それでもこう問題になっている以上考えなくてはいけないのです。

そこで、「所帰人法」というのは、帰命の対象は阿弥陀仏なのか、それとも名号なのかという問題であります。いいかえますと、阿弥陀仏を信ずるのか、それとも名号を信ずるのか、ということになります。

実際の所、名号と言っても阿弥陀仏と言っても同じだということなのです。

名体不二というらしい。

でも今日、いいこと言ってくれた人がいました。信心を得たいと思ってお念仏称えるところにしか、名号は届かないよー!って。

こういう気持ちが起こるのも阿弥陀さんのおかげなんですが、今わからない人も多いだろう。いや今もあなたに届いています。

南無阿弥陀仏