不思議なことに
合掌
前回のブログ記事で述べましたが、親鸞会の講師に呼び出され、他の会員がいない福井会館に呼び出されて行きました。
私が一言、親鸞会の教えは間違っている!と言ったものだからどこがどう間違っているの?となり、根拠を出して説明して!となってしまいました。
失敗でした。あなたの白道と親鸞会のご名号だけ持って行きましたから、(やめるつもりで)、さほど反論出来ずに終わってしまいました。
結局、先日の親鸞会報恩講のおかしいところを述べたつもりでしたが、阿弥陀仏の本願で19願は誰に説かれているの?お釈迦様の一生涯何を教えて行かれたの?という主張を繰り返し、私はもう二千畳に行きませんと言うと、なんかわからんままやめるつもり?と言われ、どうにもならんと諦めました。
18願だけでいい根拠を出せ!と言われますので、あとから念仏者の方に尋ねましたら、大悲の願船の絵に19願、20願は何に例えられますかと聞けばいいということでした。
私の白道で、すでに読んでおりました、三重廃立と三願転入との関係について、どう間違っても矛盾しているのだが講師はこじ付けるだろなと、予想します。
そして今日、地球の裏側からの問いかけに、いや大悲からの呼び出しに、はい!となりました。
本願になぜかわかりましたとなりました。不思議です。
あの講師もただいま救われていただきたいと思います。
迷いの中②
前回、私が親鸞会をなぜやめたいと思ったのかわからないと感じておられる方がおられたようで、どうしてそのような心になったのか?話しさせていただきたいと思います。
まずは、嶋田先生は、長年親鸞会で高森先生を善知識と信じて、多くの方を指導された方であるということを覚えていてほしい。一緒にまったく支部やグループがない県に行って一緒に勧誘に回った経験がありますので、嶋田先生が親鸞会をやめたことがショックを受けているのであります。親鸞会のまさに切り込み隊長だった方なんです。その方がやめてなにしてるんやと逆に最初は怒りしかなかったんです。
奥さんも、人を誘って盛んに活動されておられました。
三度目の正直と、私は2回も親鸞会やめていますが、今回こそ本当に縁を切りたいと思います。
前回、久保龍雲氏にお会いしたことをお伝えしましたが、この方が書かれたものを、嶋田先生の奥様に見ていただきました。
https://note.mu/ryuun18/n/n8b014e716a0a
久保龍雲氏の、死ぬのが怖い人へという、普通なら解決までいかない問題を見事に解決されている文章を見させていただく。
奥様は、「あぁ、この方も親鸞会で聞いてたんだね」という反応でした。
(つづく)
迷いの中
昨日お休みということで、親鸞会講師の方となぜ私が親鸞会をやめたいのかということを説明に近くのガストでお会いした。
昨年の降誕会で、以前お世話になっていた親鸞会講師の嶋田久義先生はどうされたのか?あれほど熱心に講師としてやっておられたのにもういないのはおかしいと思っていたので、同じ支部の方に聞いてみた。
あの方はもう親鸞会やめられたそうです。ネットでチラッと見たけど、「嶋田久義」で検索すればたくさんでてくると聞きました。
http://blog.livedoor.jp/byakudo2/archives/3839377.html
あなたの白道が出てきました。
驚きました。
親鸞会講師もやめられて、しかも亡くなっておられたのです。
ブログを読み進むにつれ、この方が書かれている内容は、本当だろうかと思うようになりました。その時の私はまだ半信半疑でした。
嶋田先生は、親鸞会をやめて働きながら仏教を勉強し直して、やがてご信心いただいて、真宗の布教師になる為に一生懸命やっておられたとのこと、しかし病気になってこのブログを書かれていると。
私は、そのままにしていました。昨年の暮れになってやっと勇気を出して嶋田先生の奥様に連絡とってみました。何年ぶりだろう、覚えておられるだろうかと思いながらブログのメールアドレスにメールしてみました。
すぐに返信が来ました。
私の家まできてよくお話ししていたことなど思い出していただけました。奥様も親鸞会でビデオ講師として熱心に活動していたのに今は会をやめてご主人と一緒にお聴聞して、ご信心いただいたと聞き、さらに驚きました。
高森先生以外の先生から聴聞して、阿弥陀様に救われることなどあるのか?と感じました。
私の知らない世界がどんどん広がってきました。
不審を聞くと、信心いただいて念仏を喜んでいる人はたくさんおられるとのこと。
なんでことだー!マジかー!
心が大きく揺さぶられました。
さらにTwitterで、ブラジルで動画でご説法されている久保龍雲氏にお会いしてさらに心は揺れました。
(つづく)
最後の親鸞会報恩講
真宗のご信心について、正しい信心とは何か?ということを信心獲た方から聞くのは当然のことだが、自力の信心なのか、他力の信心なのか、未信の者は判別できない。
それならということで、お聖教を元にして、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書かれたものを元にして、真宗の正しい信心を明らかにする必要がある。
しかしながら、お聖教の解釈を間違うと大変なことになる。
今日は、先ほどのお三方とは違う唯円の著作と言われている歎異抄の親鸞聖人のお言葉を通してのお話だが、真宗の教義を正しく説いているのだろうかと思いながら聞きに来ている。
他の方とは違う横から見る初めてのお話になりそうです。
1日目は、親鸞聖人がはっきりとされたことの一つとして、阿弥陀仏とお釈迦様の関係について。阿弥陀仏は、お釈迦の先生であるということ、弟子であるお釈迦様は、先生の本願、願いを私たちに届けるためのご一生であったという。そしてお釈迦様が説かれた一切経は、廃悪修善の教えである、なぜなら因果の道理に貫かれているからです。
それではこの教えと本願との関係は何かについてということで1日目は終了した。
2日目、お釈迦様が生涯説かれたほとんどのことは廃悪修善です。それが阿弥陀仏の本願にどうつながっていくのか?
真剣に悪をやめよう、善をしようと実際にやってみて知らされることは、善ができない、悪しか作れない姿でした。かつて一善もなし、そして悪因悪果 自因自果、人生は苦なり。
一切経は、全ての人は極悪人と知らせ、本願に導くためであったという。
善人なおもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや
この悪人は、全人類。善人は、まだ善ができるとうぬぼれている者。そんな者でさえやがて助かるのだから、自分は悪人だと知らされている者はなおさら助かるという。そんな論理的でわかりやすいのだろうか?
本願は、悪人正機の本願であるという結論でした。
一生かかっても私には無理だ。
真宗の御信心とは?
大変なことになった。
親鸞会を退会するのに、親鸞会の教義についての間違いを、根拠を示して破ってからやめることになってしまった。
私が尊敬する、嶋田久義先生の書かれた、「あなたの白道」の間違いを指摘すると言うのだ。
なぜそこに書かれていることを真実と決めつけているのかと言えば、嶋田先生は、親鸞会の元講師であり、高森氏の教えをよく聞いてこられた方で辞めてから、信を得たという事をさらにブログにて発言されている。
ブログの内容は、確かに私怨じみた内容もあるが、真宗のご信心について、親鸞会と比較して詳しく書かれてある。
どうすれば、御信心得られるのかという一番大事なことを間違うということに怒りがある。
だからやめたいと言っているのですよ!
M講師!
ここで私が間違いだと思うことを、お聖教に基づいて、法論しましょうか!
どうしてもわからないことは、たくさんお仲間がおられるので、聞きながら進めていきましょう。