いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

毎日お念仏を称えているとどうなるか?②

「海」といふは、久遠よりこのかた凡聖所修の雑修・雑善の川水を転じ、逆謗闡提・恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実・恒沙万徳の大宝海水と成る。これを海のごときに喩ふるなり。まことに知んぬ、『経』に説きて「煩悩の氷解けて功徳の水と成る」とのたまへるがごとし。{以上}
願海は二乗雑善の中・下の屍骸を宿さず。いかにいはんや人・天の虚仮・邪偽の善業、雑毒雑心の屍骸を宿さんや。

 

合掌

お疲れ様です。さて、一乗海釈の中で、一乗にさらに海をつけている意味について述べておられるところです。

 

今私は猛烈に、友達に会いたい。高校一年生からの旧知で、出会ってから40年にもなる友人が、ある宗教団体から、連絡を取ることを禁止されていて、しかも私がその団体のナンバー2に手紙を書き、許可を得ないと連絡そのものをとることを許されないという。

 

とんでもない団体の名は、「浄土真宗親鸞会」です。

浄土真宗と名乗っていますが、中身は高森顕徹会です。

そのナンバー2の名は、高森光晴です。なんでそんな人の許可得ないといけないんだか?

 

ネットで検索したらわかると思いますが、とんでもない団体なので、手紙も出したくないし、関係もしたくないので、今連絡を取る方法はないんですが、先日会社の電話から掛けて、ようやく上記のことを聞き出した次第です。

 

去年の夏ごろから、ぱったりと電話がなくなり、しかも年賀状や、消息さえもわからなくなってしまった。彼は、精神の病で、通常の生活ができず、障碍者年金を受け、グループホームで、生活している人なんです。そんな彼の唯一の光が、浄土真宗親鸞会の教えかも知れません。ですが、明らかに親鸞聖人の教えとは違う教えを光にして生きている、彼を救えるのは私しかいないなんて、大それたことなのかもしれませんが、今の私の唯一の悩みです。

 

実際に会ったところで、洗脳から抜け出すにはどうしたらよいのだろう?

宮田先生や、飛雲さんがついてると光晴が聞けば驚いて、手放してくれるかもしれないが、彼との長い友情がもろくも崩れてしまったのは、親鸞会の彼に、私が親鸞会を脱会し、もう二度と入会しないことを伝え、良いことだと思って「信心決定したよ」とか「高森は間違っている」と不用意に発言したことなのかもしれない。当然彼は上司に相談し、その上司は「異安心だから近づかないほうがいい」とか言ったに違いない。

結局は自分の蒔いた種なのだ、悔やんでも悔やみきれない。

 

これが人間社会というものだなぁ。自分がよいことだと思っても悪い方向に転じてしまう。

あさましい、組織保護のために、人の友情まで引き裂く暴挙と思うと同時に、信仰というものの恐ろしさを感じる。

 

上記は私が抱えている問題とは違い、無明が功徳の宝海に転じ変わるとのお言葉は、お念仏の功徳を、はたらきをおっしゃったお言葉です。

 

私だけが信心得ても、満足できぬから、往還回向を与えてくださったのだ。二つの回向はどちらも他力。如来の本願力であるとお示しいただきました。

 

私のしでかした不始末ではあるが、取り返しが効かない。

必ず良い方向に向かいますように、今は彼の行く末を念じることしかできない。

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏