いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

お念仏を称えたら、こんな素晴らしいことになる!

行信利益

しかれば真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく。これを初果に喩ふることは、初果の聖者、なほ睡眠し懶堕なれども二十九有に至らず。いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」(易行品 一六)といへり。曇鸞大師は「入正定聚之数」(論註・上意)といへり。仰いでこれを憑むべし。もつぱらこれを行ずべきなり。

 

本願力によって、私にお念仏が届いて、早2年が過ぎた。

その間、このブログもぼちぼちと更新して、浄土真宗のご信心の味わいを書いてきた。また仕事においては、課長として、店を任せられるようになり、何とかお店を回している。

 

日々様々なご縁に触れて、お念仏を称えさせていただいている。

福井で、毎日勤行の配信をしている、長松寺様と知り合うことができた。


www.youtube.com

私の少し薄くなった頭もご覧くださいw 後ろ姿も映っています。

何しろ毎日配信されているので、失敗したのも全世界に配信されます。まぁそういうリスクも抱えていても、大事なことなので、包み隠さず中継されている。

だれも補助がいない、全部ひとりで配信されておられるのだ。鐘くらい私が撞かせていただきたいと思うのだが、座敷の裏をバタバタと毎日走る音が聞こえている。

広い本堂に、実は参詣者は私一人…さみしい限りだ。コロナ禍で、集まれないといっても、早いし、寒いし、こうやって配信されると、YouTubeでお参りする人も増えているようだが、実際に阿弥陀様の御前で、させていただき、和讃を唱和するこの歓びは、してない人には絶対わからないことなのだ。

 

信前の人は、たぶんこれが功徳となり、阿弥陀様に認めてもらいたいとか、これだけお参りしているのだから、極楽参り間違いないとか思うのかもしれない。念仏者とならせていただくと、私の行いなど、一生参ろうがゼロだと自覚しているので、すべては御恩報謝と存じ歓び候ですよ。ましてや念仏者は、毎日朝夕阿弥陀様に手を合わさないといけないと思います。私たちの功徳は、すでに成就していますので、足すことも、努力することもいらないので、日々徒然に、そして自然に、まかせて精進すればいいのです。

 

矛盾していることを言ってるような気もしますが、グダグダで大丈夫と、新年からありがたい言葉もいただいた。

 

今日も嬉しや、南無阿弥陀仏