いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

死んだら往生が正解なのか?

合掌

お疲れ様です。

とうとう今年が終わります。年末年始の寒波で、雪が積もっております。

 

今日は、安心論題の即得往生についてです。安心論題/即得往生 - WikiArc

 

即と聞くと、即時、その時という意味しかないと思っておられると思いますが、即には二つ意味があるそうです。

同時即と異時即の意味です。

 

宗祖は、本願を信受した時に、往生が定まるとお示しいただいたわけですが、そのことを我が身において考えてみますと、お前を必ず往生させて仏に生まれさせると誓われた本願になんの文句もなくなり、毎日お念仏を称えているのです。それ以外にありません。

 

某S会にまだ迷っている友達から電話がかかりました。

 

友達H「お前、信心決定したのか?」

私「ご信心いただきました。」

H「毎日念仏止まらないのか」

私「たまにしか称えてないが?」

H「???、、、絶対の幸福になったんだろう?」

私「なんやそれ?(某S会で、耳にタコができるくらい聞かされたが)親鸞様がそんなことはおっしゃっていないからな。Tさんが考えたことだろう」

H「もう、そんな話しは聞きたくない」

私「S会は、浄土真宗じゃないからね。T教を信じてるだけだぞ。」「本願を信じてお念仏を称えておればよいのだ」

 

絶対の幸福と聞くと、とにかく妄想が過ぎるので、やめていただきたいものです。ご信心を得ても、スーパーマンになるかのような誤解をしているというか、私もそうだったから文句は言えない。

 

宗祖は、本願成就文の即得往生を一念で往生させていただける身に救っていただけたことを龍樹菩薩も善導大師もおっしゃっているし、私もそのように領解しますと宣言されておられる。

 

もちろん私自身もそう味わっているのだけど、

何か変わったかと言われたら、凡夫は全く変わらないんです。毎日、三途の業の作り通しなのです。散々S会で聞かされた因果の道理から行けば、往生どころか、地獄行き間違いなしなのです。

 

だからこそ聞くのです。

宗祖は、仏願の生起本末を聞いて疑いなくなったことが、聞くというのだとおっしゃっています。

 

改めて即得往生について考えますと、単に、往生があてになったということでございましょう。往生はあくまでも異時即なのだということを、知らされて参りました。

 

そのことを聞かせていただく道場は、あんなでかい会館は必要ないですし、高いお布施を出す必要はありません。

 

これだけたくさんの念仏者がおられるので、何か組織なり、教団が必要と思うことも人間社会では仕方ないし、あくまでも信仰の拠り所として、寺院はこれからも必要と思う、今日この頃です。

 

また少しでも仏縁を結び、お念仏を称えていただきたいものです。

 

南無阿弥陀仏