信心が先か、お念仏が先か?
合掌
お疲れ様です。
世間は、コロナの影響で、人間に都合悪くなっているが、真宗は、証道今盛んなりで次々と念仏者が現れている。
さまざまなご縁で、お念仏を喜ぶようになる。安心論題/称名報恩 - WikiArc
今回の論題も、宗祖によって、龍樹菩薩様が明らかにされたことを、正信偈に
弥陀仏の本願を憶念すれば 自然に即のとき必定に入る
唯よく常に如来の号を称して 大悲弘誓の恩を報ずべし
と説かれました。
本願に、往生の因として三心と十念が誓われていますが、どちらが先とは説かれていないが、称名報恩は、信後の行者の相です。
なぜなら、信前には、必ず自分の称名に功を求めるからです。
と言いながらも深く本願を信じて称えることは、どの真宗の先生もお勧めしてくださるのです。
称名報恩は、信後の行業ではあるけれども、お念仏のない真宗はありません。
またご法話の後には、恩徳讃を謳わせていただきます。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨を砕いても謝すべし
某S会で、30余年間歌ってきたが、間違った教えのためにこの歌詞に込められた宗祖の思いが判ることはなかった。
正座して聴聞することが当たり前だったので、痺れた足をさすりながら、今日も聴ききれなかったと唇を噛んでいた。
このブログは、お念仏に目覚めて行く人が多少なりとも現れればいいという思いで書いている。
本願をそのまま伝えてくださる方ならどなたでもよいのです。
タイトルでの回答ですが、どちらが先ということはありません。お念仏の信心なので、口から出るお念仏を自分の耳で聞く、その中にこそ疑いなく往生できるという信心が、生まれてくるのです。
間違いなく伝えてくださった方々に感謝するしかありません。
一盲、衆盲を率いて、火坑に堕する(釈尊) そんな悲劇にならないように、正しく伝えて下さる方からお聞きしないと、万劫にも、人間に生まれることはできない。
これこそ一大事です。驚き、求めていただきたいものです。