いいちこ@あまのっちの信心ブログ

浄土真宗の信心について、味わいを中心に書いていきます。

お念仏称えたら助かるのですか?

合掌

 

お疲れ様です。

苦しみました。真宗のご宗義について、念仏為本とはどうなのか?

称名正因とは違うのか??安心論題/念仏為本 - WikiArc

 

この問題は、意外と難しい問題です。

何しろ、法蔵様が、愚かな我らのために決めて下さった  であったからです。

 

ところが、願成就にはなんて書いてある?

 

その名号を聞いて!と説いてある。 称えて、あるいはこちらがなんかしてとは説いておられないのですよ。

 

何を聞くか? 17願成就で、讃嘆するところの名号、南無阿弥陀仏ですよ。

 

それに、はい、仰せの通り信じますとなったのが、念仏の信心です。

 

「至心信楽欲生我国」は名号を私の心にいただいたすがたで、これが信心です。「乃至十念」は心にいただいた名号が私の口業にあらわれ出たすがたで、これが称名であります。この信心も称名も共に如来の名号が私の上に届いたすがたにほかなりません。したがって、如来の名号をいただいたすがたは、信心でも称名でも語られます。

 

わかりやすいことなのですが、私が本願の疑いが滅尽したときに思ったことは、お念仏に救われたと思いました。

これは完全な個人の領解なので、あまり参考にはなりません。

難しいが引用します。

 

法然上人は信を具した称名行で往生を得ると仰せられたのを承けて、宗祖聖人は行から信を別開せられ、名号が業因であり、信心が正因である旨を明らかにされたのです。これによって、法然上人の仰せられる「称えて往生」は、私の称えるという行いに功を認めるような自力の念仏ではなくて、名号業因をいただいて往生という意味であると、念仏往生義の正しい意味を誤ることのないようにせられたのが宗祖の釈義であるといえましょう。

 

だから、念仏を称えたら助かるのではなく、念仏を称えたら助かると信じた信心で助かるのです。

 

これは間違います。

 

南無阿弥陀仏