闇の中に光が来たら?
合掌
お疲れ様です。
やはり御文章はすごい。
真宗の教義も網羅していながら、文字を読めない人をも全て
お念仏者にする力があるなどと、わかりきったことを改めて書きました。
本日の問題は、安心論題/仏凡一体 - WikiArc
です。
私なりに、感じたことがあります。
心の中のモヤモヤした、お軽さんが、真っ暗闇のようでもないと譬えた闇の心である疑情、本願に対する疑いの心が、晴れても、まったく変わらない煩悩が、絶えずやってくるのですが、必ずお念仏がどこからともなく湧き上がってくるのです。
そのことを煩悩即菩提とか、転悪成善と釈されてあります。
そして蓮如様は、凡夫の心と仏様の心が一緒になってしまうということを仏凡一体と説かれました。
日々感ずることは、いやらしい自分の心が見えると、情けなく恥ずかしく、お念仏が出てくださるのです。
ですから、罪業も業報を感ずることあたわずとおっしゃっていただいた歎異抄のお言葉に感動するのでございます。
前回ブログで、お聖教を拝読していると述べたが、そうすると信心を教えに合わせていくのではなく、まったくその通りですと深くうなづかせていただくのです。
そして本日もお念仏を称える。
闇の中に光が来ると、真っ暗なところがなくなってしまうのです。
すみっこまで、照らさぬところがないので、あゝ阿弥陀さんには、私のことでわからんところはひとつもないぞ! こわいこわい親様です。