一念とは、瞬間ではない、今だった。
合掌
お疲れ様です。 暑い中、外回りして頭がボーッとなり、レッドブルを飲んでなんとか回復しました。
親鸞様が明らかにしてくださった信一念を、生活に追われながらいろいろ考えさせていただきました。
信心を獲ることが、人生の決勝点であるという夢を持ち、過ごして参りました。
思えば学生時代は、とにかく唯一無二と信じた先生の話を聞けばなんとかなると思っていた。
一念の瞬間について、心がどうなったらそんなことになるのか?などと考えていた。
親鸞様の信一念釈である。
これを抜き取って語ると大変な異義や異安心になると、私は申し上げます。
一念には、意味が二つあるとも解説されておられます。
一心と同じ意味、つまりは無疑、無二心という心相をあらわしておられます。
だからそもそもの本は、ご本願に対する私自身の問題です。
このように見てまいりますと、信一念の時はいつであったか、その時の様子はどうであったか、などということを穿鑿(せんさく)することは、宗祖の思召しにあわないということが知られましょう。要は信楽一心が正因であるから、名号のいわれをよくお聞かせいただき、如来の願力にお任せできた身になることが大切であるとお示しくださるのであります。
ご本願を聞信しようとされる方は、一念の瞬間などということにこだわることなく、慎重に、法蔵菩薩の願いを自分の身に押し当てて、聴聞していただきたいと思います。