阿弥陀様に救われるとは?
合掌
お疲れ様です。 善導大師が明らかにされた他力の世界の心の相とはどんなものなのか? それを言い表した言葉が「二種深信」です。安心論題/二種深信 - WikiArc
かの哲学者の西田幾多郎氏が、絶対矛盾的自己同一と名付けしめた事柄です。
ですが、信前では、いろいろ想像して、こうならなければいけないと身構えていたが、南無阿弥陀仏をいただくとさほど難しいことではない。頭でどれほど考えてもわかるはずもない。
機の深信とは、機実すなわち私の本当のすがたを知らされることであり、法の深信とは、法実すなわち如来の願力の本当のすがたを知らされることであります。機実を知らされるということは、罪悪生死の凡夫で出離の縁あることなき私であると知らされることであり、出離の縁あることなき私であると知らされることは、私のカが出離のために役に立たないと知らされることであり、私の力が役に立たないと知らされることは、私のはからいを捨てるということであります。ですから、信機は捨機であるといわれます。法実を知らされるということは、如来の願力のひとりばたらきで救われると知らされることであり、願力のひとりばたらきで救われると知らされることは、すっかり願力にお任せするということであります。ですから、信法は託法たくほうであるといわれるのであります。
ほら、言葉は簡単明瞭です。
本願を何度も何度も繰り返し聞いて、南無阿弥陀仏と称える。
人間に生まれてきたのはこのためであったのか?と知らされるでありましょう。