念仏のみぞまことにておはします。
念仏と聞くと、口にただ南無阿弥陀仏と称えることと思われがちです。
どうも違うようです。
蓮如様も、口にただ南無阿弥陀仏ととなえたならば往生すべきように思えり、これはおおきに覚束なき次第なりとザッバリと切り捨てておられます。
歎異鈔などに、念仏と限りなく出てくるが、一体何のことであろうか?
それについては、親鸞様の教行信証に詳しく書いてあるので、詳しくは知らない私が述べてもどうしようもないが、念仏には三つの意味があるらしい。
まずは、阿弥陀仏からの呼び声であるということ。
次にこの南無阿弥陀仏には、私たち衆生を極楽に生れさせ仏にならせてみせるという阿弥陀仏の願いが込められていること。そしてその功徳をすべて南無阿弥陀仏に詰め込んだということ。
あぁ、なんと尊いことか?
疑い晴れたい、スッキリしたい。