さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし。
昨日からずっと、自分の行いについて、阿弥陀仏がどう見ておられるのか?を観察しています。
阿弥陀仏の視点から、自分の罪悪について、それこそが仏願の生起なのだが、その一方で世間ではとんでもない事件が起こっている。
そんな奴らより私の方がよほどまともではなかろうか?そんな奴は、とても許せない!六道を輪廻すべきはそいつらだと、怒りの心が湧いてくる。
親鸞様のお言葉を見れば、自身のことを「地獄は一定すみかぞかし」とおっしゃっているではないか?
他人の罪悪もそういう縁がきたから犯してしまったのだ、私も縁さえくればもっと恐ろしいことをするかもしれないと、己の本性について、興奮状態が収まったら深く凝視していこうと思います。